松本祥志
1. アイヌ文化振興法の成立
アイヌ文化振興法とか「アイヌ新法」と略称される「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」は1997年5月8日に成立し、アイヌ民族を旧土人と呼んでいた「旧土人保護法」は廃止された。この法律が国会で可決されるさいに採択された附帯決議において「アイヌの人々の『先住性』は、歴史的事実」であるとされたが、この法律そのもののなかではアイヌ民族は少数民族とされ先住民とは位置づけられていない。
道開発庁や国は、先住権を法律で規定したくない理由を従来二つあげていた。一つは、「先住権という考え方は、領土権、自決権といった概念につながる。アイヌの独立といったことまで視野に入ることになり、現行の枠内で可能かどうか、その必要があるかどうか疑問だ」という“国家内国家論”である。もう一つは、「先住権という人権概念は最近出てきた考え方で、第三世代の人権。国連でも論議されているが、いまだ固まったものではない」という“定義不確定論”であった(道新1989年12月10日)。
この法律の成立自体が歴史的に一歩前進として評価されるとしても、文化の振興・啓発で民族の問題が完結するわけでないことを再確認するのに世界史の教科書を改めて開くまでもない。それではアイヌ民族との関係でいま問われるべき問題は何なのであろうか。
2. “国家内国家論”の解析
少数民族の権利、先住権、発展の権利、自決権等は「人民の権利」と呼ばれているが、先住権を自決権に直結させる道開発庁の見解は、これら二つの法概念の固有の存在意義を否定しかねないという概念上の混乱が指摘されうる。
先住権に分離独立の権利まで包含して論じる“気前のいい”議論は国際法の世界ではあまり聞いたことがなく、道開発庁のオリジナルな新説と考えられるので、その著作権を尊重しておかなければならないかもしれない。
分離独立が論じられてきたのは自決権との関係においてであり、先住権との関係においてではない。ほとんどの海外植民地が独立してしまってからは、自決権によって独立主権国家内の民族つまり人民―それは少数民族であることも多数民族であることも、たまたま先住民であることも“後住民”であることも、その他の人種、カースト、階層でもありうる―が分離独立する権利があるかが問題とされてきた。しかし、ほとんどの既存の国家は、恐らくは保身のためであろうが、自決権を認めるのは「領土保全または政治的統一」を損なわないかぎりにおいてのみである。国際法には、既存の独立主権国家から分離独立する「権利」は存在していない。それは逆の方向から、既存の国家には新国家に国家承認を与える法的義務がないことからも説明されうる。
つまり分離独立についての道開発庁の主張は極端に過激な自決権論を前提にしており、それはほとんどアナーキズムに近い観念であり、同庁長官の公務員としての資質が疑われる。
3. “定義不確定論”の検証
アイヌ民族の先住性を認めた附帯決議が国会で採択される2ヵ月余り前の1997年3月27日に、札幌地裁の二風谷ダム事件に関する判決が、アイヌ民族の先住性を認めた。
先住権に関してアイヌ民族が国際法主体であるとすれば、国との関係が、単に国民として扱われる場合と質的に違ってくる。そして先住権についての定義の不確定性は、それを国際法主体間で適用するための障害とはならない。
伝統的な国際法主体は国家であるが、国際社会の変化およびそれによる国際法の発展に伴い、国際法主体は一定の限度で国際機構、個人、人民にまで拡げられてきた。1949年の「国連の役務中に被った損害の賠償事件」に関する国際司法裁判所の勧告的意見において、国際法主体とは「国際的な権利・義務を有することができ、国際的請求を提起することによってその権利を擁護する能力を有するもの」とされた。アイヌ民族は二風谷ダム事件判決において先住性を認められたので、先住権に関する限りでは国際法主体とされ、国と対等なパートナーとされる。つまり、国から一方的に法律を課せられる関係ではなくなるのである。
当事者が二者に限定されている点で、日米安全保障条約と同じフォームであるから、その「極東」の具体的範囲が―その是非はともかくとして―両当事者の交渉・協議によって決められるように、アイヌ先住民の具体的な権利・義務は国とアイヌ民族との交渉・協議によって決められうる。
対等なパートナーの間で適用される法規範は任意規範が基本であり、厳密な定義は、もし存在していたとしても、当事者間に合意が成立しなかった場合に適用されるにすぎない。先住権が強行規範(ユス・コーゲンス)であるとは主張されていないので、それは任意規範とみなされる。そうであるとすれば、先住権に基づくアイヌ民族の具体的な権利・義務は、国とアイヌ民族との対等平等な交渉・協議によって決められることになろう。
4. 国内委員会の設置にむけて
先住民としてのアイヌ民族の土地や資源などに対する具体的な権利・義務を交渉・協議するため、国連の勧告に従い、国、アイヌ民族、NGOの代表で構成される先住権国内委員会が設置されることが望まれる。またアイヌ民族が国際法主体たる先住民であることは、「北方領土」等の問題の交渉の当事者に加えられるべきことを論理的に帰結する。