【投稿】
「和解と友好の村」から
内田修平 土岐寿佳
花松泰倫 古内洋平
<日韓共同ワークショップ>
「これじゃまるで、強制労働だよ」、参加者の一人がジョークを飛ばした。作業は雨に阻まれ、肉体的にもきついものがあった。ただ一つ、強制労働と違うのは、私たちは自発的に参加しているということである。
今年の8月、空知民衆史講座と韓国学生日本研究会の共催で9日間の「日韓共同ワークショップ」が開催された。場所は北海道幌加内町朱鞠内。1935年から1945年まで、ダム工事と鉄道工事のため多くの労働者が朝鮮半島から強制連行され、あるいは日本国内からタコ部屋労働者として連れてこられた場所である。その地に日本・韓国・在日の学生を中心とした若者が総勢100名以上も集う。そして、強制労働犠牲者の遺骨を共同で発掘する。はたして「和解と友好の村」と名付けたここから何が生まれるのだろうか。
<若者のノリ?それとも・・・>
私たちは一日目から、酒を飲み、歌い、踊って友情をつくりあげた。世界共通の若者のノリとでもいうのだろうか。集まった人間は日韓関係に何らかの関心があるわけで、友情をつくるだけでなく自分の関心問題にある程度の答えがでるのを望んできたに違いない。しかし、なかなかつっこんだ議論をしようとする者は現れなかった。しようと思ってもできなかったのである。
日本についてだけ言えば、1945年で歴史を断絶し、さらに戦争を風化させてきたことによる歴史認識の貧困さがあるし、また、お隣り韓国について関心すら持っていないというのが現状である。これじゃあ議論する土俵が無いも同然だ。
歴史認識の違いを痛感させられたのが、遺骨が発見され掘り出されたときである。韓国の学生の中には「自分のおじいちゃん、おばあちゃんのように思えて」と泣き出す者までいたのに対し、私たちの中に自分の問題として考えることができたのはどれだけいたであろうか。下手な同情でなく、戦争と自分とを歴史の連続性の中でとらえることのできた人がどれだけいたであろうか。
ともかくも、はじめの3、4日はつっこんだ議論ができなかったのだが、つっこまざるを得ない事件が5日目の深夜に起きる。
<アンケート騒動>
それはある韓国の女子学生が日本人にアンケートを取りに来たことに始まる。そのアンケートの内容は、例えば「韓国は日本に比べて文化的に先進国だと思いますか」や「韓国人は日本の侵略事実については激怒しながらも、進歩した日本の文化はうらやましく、ついていこうとしていると思いますか」などである。
これに対して、一部の日本人学生から猛反発が起きた。「意図的に答えが方向づけられている」というのである。「レベルの低い質問」という意見も出ていた。はたして「レベルの低い質問」なのであろうか。例示した前者の質問は、韓国人一般の考える日本像、つまり韓国の文化的優位性を表しているし、後者の質問は、日本人一般の考える(とされている)韓国像、つまり経済大国日本の優越感を表しているのである。そのような質問を生の日本人にぶつけたときの反応を見ようとしたのである。ほとんどの日本人は「反日的か親日的か」という判断材料しか韓国に対して持ちあわせていない。その意味では、質問は「反日的」であり、当然の帰結として反発がある。韓国の学生たちがここまで予想していたことは、後日わかった。「レベルが低い」どころか、日本人の無知をさらすことになったのである。無知を知ることができたのだから良かったではないかという人がいるだろうが、感情的な反発をうけた彼女は翌日、泣き出した。無知が凶器となることは日常的にも経験することである。
そんなことがあって、「アンケート騒動」の翌日に学生たちの自主的な働きかけで議論が行われた。そこで明らかになったことだが、韓国の参加者は、今までいわれてきた日本イメージには偏見が含まれていること、それは国家という枠を維持するため意図的に作り出され操作されてきたこと、これを理解した上で、反日感情を持つのは当然と考えている。そして、それを乗り越えるために共通の経験を作りに来たのだと言う。このような明確な意識を持った韓国学生に対して、日本人は明確な意識を示せず、発言を求められると「なぜ反日感情を持つのか」というお決まりのセリフを繰り返すにとどまった。この姿勢は「目の前に無いことには無関心」と韓国の学生に切り捨てられ、「意識の低さを実感してほしい」と日本の報道関係者に指摘された。
<最後に>
私たちは、東アジアの平和のためには韓国との「和解」と持続的な「友好」が必要不可欠と考える。しかし、その前段階として「学習」や「理解」が必要であることを実感した。これは「女性のためのアジア平和国民基金」が元「慰安婦」たちに批判されたことからもわかる。このことを改めて気づかせてくれた多くのスタッフや参加した仲間たちに感謝したい。そして、私たちは4体の遺骨と対面した。事実と出会ったのである。「なかった」や「知らない」と言う一部の学者(?)たちのようにはいかない。「あった」こと、「知った」こととして伝える義務を負ったのである。
雑な内容になったが、このへんで終えたい。