ナイジェリアの人権と『市民的自由機構(CLO)』
制度としての人権と規範としての人権
松本 祥志
ナイジェリア軍事独裁政権の人権政策
1960年のイギリスからの独立以来、ナイジェリアの政治体制は、独立から66年までの第一共和制と79年10月−84年1月のシャガリ大統領の下での4年3ヵ月間の第二共和制以外ほとんど軍事独裁である。アフリカ最大の産油国を独裁してるアバチャは93年11月に、民主化を約束していたショネカン政権をクーデターで転覆させ7代目軍事政権となった。同政権の最高意思決定機関である暫定統治評議会は軍高官で構成される。
アバチャ軍事政権下でも79年憲法が有効とされるが実際には軍布告により人権が停止され、しかも87年布告「市民騒乱(特別法廷)令」と92年布告「修正(補完規定)令」により軍布告の効力や憲法解釈についての普通裁判所の管轄権が剥奪され、実態は軍事法廷と批判される特別法廷しか人権侵害事件を管轄しえなくなった。
国際人権規約は批准されてないが、シャガリ政権下の83年6月にアフリカ人権憲章が批准された。同憲章下で締約国は「この憲章が効力を生じるときから2年毎に、この憲章によって認められ保障された権利及び自由を実現するためにとった立法その他の措置に関する報告書を提出することを約束」(第62条)したがナイジェリアが報告書を提出したのはショネカン政権下の93年4月になってからであった。しかもその報告書は人権侵害の発生装置と批判されてた特別法廷には全く言及しなかった。
特別法廷−人権侵害装置
この憲章で設置されたアフリカ人権委員会の93年3-4月第13会期でのナイジェリア報告検討のさい委員は「特別法廷の存在は、特にそれが市民の権利の停止に帰結するとき、なかんずく特別法廷が死刑を科すとき、この憲章と両立しない」と指摘した。報告説明に来ていたナイジェリア代表は「裁判所が余りに混雑なのでまだ特別法廷が使われてる。何もしなければ案件が溜まりそれが大きな人権侵害になる」と釈明した。委員が更に質問した−「その手続は普通裁判所と同じか」、「なぜ特別法廷があるのか。なぜ単純に裁判官の人数を増やさないのか」、「特別法廷に将校がいるか」。同代表は「特別法廷は普通裁判所と同じ方法で運営されてる。特殊事情下でのみ将校も出席する」と答えた。それでは「特別法廷から普通裁判所への控訴権はあるか」、「特別法廷で裁判されている人々は高裁か控訴裁判所に訴えうるか」との委員の質問に対し同代表は先の答えに矛盾して「特別法廷は普通裁判所の規範に従ってはいない」と答えた。「特別法廷からナイジェリア控訴裁判所に控訴できるか」という確認に対し同代表は「特別法廷の実務と手続において法律家が普通裁判所に訴えることができる」と述べた。委員は「誰が訴えうるのか。特別法廷か」と追求した。同委員会は締約国の人権侵害を非難する裁判所ではなく締約国の人権政策の改善を支援する機関であると主張してきた別の委員が、控訴権のような詳細は確定されてないのだろうと発言しこの争点は終わった。
限られた権限でアフリカ人権委員会は苦戦してるが、1987年以来創設されてきた6つの主なNGOもそれへのオブザーバー参加が認められ、それらのうち最大の成果と知名度をもつ『市民的自由機構(Civil Liberties Organisation,CLO)』もその一つとして同委員会の成果に貢献してきた。
CLOの目的
CLOはババンギダ軍事政権の民政移管発表3ヵ月後の87年10月に、アグバコバ(O.Agbakoba)とヌワンクゥオ(C.Nwanwko)の2人の弁護士によりラゴスを本部に設立された利潤を追求しない党派性のないボランタリーな人権NGOである。その目的はナイジェリアに居住するすべての者の市民的自由の防衛とその範囲の拡大、普遍的に承認された人権と基本的自由についての諸規範と一致した国境を超えた人権意識の高揚とされる。この目的を共有するあらゆる人に会員資格がある。理事会はアグバコバ理事長他10名で構成され、全国顧問会には人権活動家としてアフリカ全土で著名なソイインカ教授がいる。事務局員は15名で財源のほとんどは海外からの援助である。
CLO創設の要因として4つあげられる。
・ババンギダ政権下での重大で広範な人権侵害。
・人権侵害に注目させるための機関の欠如。
・ナイジェリア人は政府に蹂躙されてはならない憲法・国際法上の権利をもつという信念。
・85年8月のクーデターでブハリに代わったババンギダが就任当初約束した人権尊重の方針が
人権NGO出現の契機となった。
その後ババンギダ政権はナイジェリア史上最悪の人権侵害政権に変貌した。
『構造調整計画』の強行と人権侵害
いくつもの苛酷な軍布告を廃止し何千人もの市民を釈放したババンギダが変貌したのは、1980年代初期からの石油価格の下落により、石油輸出による外貨収入が枯渇し、機械や原料を輸入に頼る企業が傾き、失業者が急増し、歳入が激減し、結局は対内・対外債務が増加する経済危機のせいであった。経済危機を克服しIMFから250万ドル借り入れるためババンギダは、86年7月にIMFの『構造調整計画(Structural Adjustment Program,SAP)』を制度化する「国民経済復興計画」を発表した。それは、平価切り下げ、民営化、輸入自由化、高金利政策、賃金凍結、給与所得者への30%の“経済復興税”の賦課、海外投資者への莫大な助成金をふくむものであった。
その結果、SAPは新たな貧乏人をうみ、既存の貧乏人をさらに貧乏に、一定の金持ちも貧乏にした。その貧困が背景となり飢餓関連の病気が増加した。最低賃金を200ナイーラ−81年の最低賃金法では使用人500人未満の場合にはそれが適用されないが、ナイジェリアのほとんどの企業は500人未満の規模だった−として低賃金におさえられる一方、物価は天文学的に上昇した。『ナイジェリア労働会議(NLC)』によればSAP導入前に1ナイーラ(81年)だったパンが4ナイーラ(89年)に、石鹸7倍、米14倍、砂糖11倍、植物油11.9倍になった。
だが他方、SAPは内外の資本家には利益をもたらし、海外債権者はナイジェリア債務への利子を改定して市場の利率より高くすることができた。また国内金融資本の暴利は86年に26しかなかった銀行を91年には120に増やした。
国民の不満はSAPにむけられた。ストライキ、デモ、暴動でSAPに抵抗した。軍事政権は88年4月におきた最初の大規模な反SAP暴動にたいして激しく弾圧した。89年6月のより大規模な反SAP暴動には治安部隊が無差別に発砲し、ラゴスだけで70名以上の死者をだしたという。何百人もが逮捕され、何十人もが警官に殴打され、おおくの高等教育機関が閉鎖された。92年5月のもっと破壊的な反SAP暴動にたいする軍事政権の対応はもっと残忍になり、将来の暴動に対処するため準軍事的な「国家防衛隊」を新設した。86年のSAP施行以来何百人もの市民が逮捕され、裁判なしに拘留された。
CLOの活動
CLOはその目的遂行のため、人権侵害の調査、調査報告書の公表、人権侵害被害者救済のためのキャンペーンや裁判闘争などを行なってきた。その活動は3つの戦略からなる。
第一に、CLOは拘留されている人々に裁判をおこなうかまたは釈放するよう政府にもとめる訴訟をおこない賞賛されるべき成果をあげてきた。88年の David Chikpoto & 69 Others v. Attorney‐General では、35名を直ちに釈放し他のものの裁判をすぐ開始することを政府に命じる判決をえた。同年12月にも51名の釈放をもとめる訴訟で25名を釈放させた。89年には314名の釈放をもとめる訴訟をおこなった。CLOだけで1,000名以上を釈放させてきた。
第二に、人権状態や人権侵害にかんする調査報告書の公表により人権問題に関心を引かせてきた。CLOは、800人用の刑務所に2,430人入れられ過密で、不衛生かつ飢餓的なナイジェリアの刑務所の状態を詳細に調査した報告書『塀のウラ(Behind the Wall)』を91年に発行した。CLOは、Ibrahim Ramadan & 999 Others v. the Minister of Internal Affairs & Others において、原告らが投獄されていたイコイイ(Ikoyi)刑務所は人間が住めるところではなく閉鎖されるべきだとの判決をもとめた。その報告書に対抗して政府は、刑務所にテレビ・カメラをいれ、元気で心の暖かい受刑者をみせるためのテレビ・ドキュメンタリーを製作したが、のちにその受刑者たちはそのために雇われたプロの俳優さんだったことが暴露され、政府は刑務所の改善を約束した。また90年4月のクーデター未遂に関連してCLOは学生にたいする人権侵害の詳細を発行し、秘密裁判を暴く訴訟をおこし、政府に秘密裁判の存在をはじめて認めさせた。さらにイタ・オコ(Ita‐Oko)島という離島に秘密の拘置所があるのをつきとめ、灯もなく、ときには近くのジャングルで食糧を調達し、じめじめした床に何もしかず寝せられていると公表し、それを閉鎖させた。ときには調査名目で警察や刑務所の人権侵害の緩和のため当局と直接交渉もしている。
第三に、CLOは、ナイジェリアの検察官で司法長官であったアジボラ(Bola Ajibola)が国連の国際司法裁判所の裁判官に任命されるのと、オバサンジョが国連事務総長に選任されるのを阻止するためのキャンペーンをおこなった。オバサンジョは事務総長に選ばれなかったが、立候補を阻止できなかったことで運動としては失敗とみなされる。91年に The Ajibola Y ears:TheFacts and Reasons That Make Prince Ajibola(SAN) Ineligible for the World Courtを発行し、アジボラはババンギダ政権による恣意的な逮捕・拘留、判決の無視、新聞の発刊停止、組合の取り締まりを黙認してきたと非難し、かかる人権侵害に責任をとれないものが「それより大きないかなる責任も引き受けえない」とした。だがこの運動は失敗し、アジボラが国際司法裁判所の裁判官に任命されただけではなく、外国からの援助などを口実に政府の反撃をうけた。
出版活動
その活動はCLOにより毎年発行される『ナイジェリア人権年次報告書(Annual Report on Human Rights in Nigeria)』の中で具体的に報告される。年次報告書では、CLOの活動だけでなくCLOと連帯してる組織を中心にナイジェリアの他の人権NGOやガニ・ファウェヒンミやケン・サロウィワなどの人権活動家の活動も報告される。さらに毎月『ザ・キャンペイナー(The Campaigner)』、年4回『リバティー(Liberty)』、年1回研究誌『人権法・実践ジャーナル(Journal of Human Rights Law and Practice)』を定期刊行する他、随時、刑務所の人権状況、治安維持法、子供(被収監者)の権利、選挙監視、難民などに関する調査報告書を刊行している。
その名称は経済的・社会的権利の軽視を印象づけるが年次報告書はストライキ、物価、インフレ、失業の問題から少数者の権利や環境問題まで人権一般の活動を報告している。しかしインフレなのに所定の給料が支払われない警察官による虐殺、拷問、拉致、刑務所の劣悪な状態による死亡者の発生が不可避的にCLOの活動の重点を生命・身体の自由にシフトさせる。実際ナイジェリアでの経済的・社会的権利の侵害事件の多くは、特別法廷の判決で略式処刑されたケン・サロウィワの場合のように生命・身体の自由の侵害に帰結している。
財政
ナイジェリアの人権NGOにたいする政府の最近の反撃は、それらがナイジェリアを混乱させようとする外国の勢力によりその資金提供をつうじてあやつられているというものである。つまり外国からの資金援助を背景にオバサンジョやアジボラが国際的ポストをえるのを阻止しようとする運動は反愛国的で、“国益”に反し、反逆的であるという。
アイクホム(A.Aikhomu)副大統領は、政府はそれらの組織の資金源を調査し、ナイジェリアを不安定化しそうな資金源からお金をうけとった組織があれば政府は断固たる措置をとると述べた。また彼の報道官は、人権NGOのリーダーは私利私欲のためにやってると中傷しオバサンジョとアジボラ反対キャンペーンに対抗した。
しかしこれらの攻撃は人権NGOになんらのマイナス効果もあたえなかった。あるNGOはすぐ帳簿を公開した。『ヒューマンライツ・アフリカ』は「対外資金は、アフリカの諸政府により国民のために受け取られている債務や援助ほど、アフリカのいかなる民族のイメージにも黒人の尊厳にも有害ではない」と述べた。
CLOは会費収入が3,330ナイーラにすぎないのに外国などからの寄付が304,140ナイールであり(90年)、対外資金への依存度が高すぎる。それはブレトンウッズ体制による「発展の権利」の侵害にたいする補償として正当化できるかもしれないが、NGO相互間での政策調整や資金のプールなどの方法で効果的な運営を試みることは健全である。
展望
ナイジェリアでは人権NGOや大学教授、弁護士が特別法廷で自ら原告となり懸命に活動した成果も新たな軍布告により無効にされる。CLOは従来法律の分野での活動に主眼をおいてきたが、アバチャ政権のような政府の場合にはもっと政治的な活動にウェイトを移さなければ人権侵害を阻止できなくなるのではないだろうか。ケン・サロウィワの絞首刑の総括が展望を開くにちがいない。
かかる状況下でアフリカ人権憲章の存在意義は大きい。その第55条の下でNGOも人権侵害をアフリカ人権委員会に通報できる。また国家による報告の検討のさいの委員による質疑のため情報を提供しておくこともできる。CLOは例えば同委員会第13会期においてナイジェリアの過渡的措置と93年6月予定の大統領選挙についての質問を要請した。だが同委員会には質疑を超えて締約国を拘束する権限はない。この限界の克服には人権裁判所が必要とされる。
それも夢ではない。91年署名のアフリカ経済共同体(AEC)設立条約(未発効)はアフリカ議会やAEC裁判所の設置を予定してるが、アフリカ人権委員会第13会期でOAU代表として初めて演説したOAU事務局長代理オスマンOAU事務次官はアフリカ人権裁判所の必要を訴えその一つの選択肢としてAEC裁判所の活用を示唆した。それが実現すればヨーロッパ、ラテンアメリカに続きアフリカにも人権裁判所ができることになる。アジアはどうか。
宗教規範に代わる規範意識が現れず、かくして公務員も市民も人権意識をふくめ規範意識が薄弱なアジアにおける最大の人権問題である日本の戦後補償問題が解決されアジアに人権裁判所ができる条件が整うのはいつのことだろうか。しかも、もしアジア人権裁判所がつくられたとしても、人権を担う広範な社会勢力の人権規範意識によりバック・アップされなければそれは容易に形骸化・逆機能化させられる。
究極的には“神”が見てなくても自己を規律する人権規範のエートスが開拓される必要がある。しかるに民主主義が内実化されない社会ではその開拓は一人一人の公務員や市民により自らの費用で主体的・独立的に自己空間から始められなければならない。それを省略してどう人権を自負できるのだろうか。
CLOなどのナイジェリアにおける人権NGOの活動は、ナイジェリア国民のあいだに人権意識をつくりだすのに貢献した。残忍な軍事政権でも、もはやイタ・オコ刑務所を再開できないように、いったん身に付けた人権意識を覆すことはもはやできない。
[連絡先]
Civil Liberties Organisation
24 Mbonu Ojike Street, Off Ayinde Giwa Street, Via Alhaji Masha Road,
Surulere, Lagos, NIGERIA
TEL: 01 5840288, 5845513
FAX: 01 5876876