【31号小論】
法の下の「差別」(1)
─「らい予防法」とハンセン病患者への差別─
川村幸恵 
 

在園者の訴え

 1998年7月31日、熊本県菊地恵楓(けいふう)園と鹿児島県星塚敬愛園に入所する元ハンセン病患者13名が、国家賠償を求め熊本地裁に提訴した。訴状によると、(1)国は基本的人権を定めた憲法施行後、医学的根拠がない「優生保護法」(48年)、「らい予防法」(53年)を定め、ハンセン病患者に対して「強制隔離・断種手術」を行い、患者の基本的人権を侵害した、そして(2)憲法に反するこれらの法律を廃止する義務を怠り、違憲な人権侵害を放置した、さらに(3)政府・厚生省は、入所者の人権回復のための法案をつくって国会に提出する義務があったのに怠ったとしている。96年に「らい予防法」は廃止されている。それだけになおいっそう、在園者の訴えは衝撃的であり、そしてそれは日本の感染症政策全体に対して問題を提起するものであった。本稿の目的は、「らい予防法」を支え続けた思想は何かを探り、そして日本の感染症対策に対する問題提起を行うことである。

ハンセン病

 ハンセン病は、らい菌による慢性感染症である。1873年にノルウェーのハンセン氏がらい菌を発見し、ハンセン病は伝染病であり、その伝染力は極めて弱く、成人に伝染することはないことを証明した。らい菌は、末梢神経で繁殖しやすい性質をもつため、初期症状として知覚麻痺をもたらす。知覚麻痺のため、患者は火傷や怪我をしてもその痛みを感じることができず、その結果二次障害がもたらされることが多い。また、らい病は病気の進行に伴い、患部から腐臭が発し、顔や四肢が変形するなどの症状がみられる。このためにらい病は、天刑病、業病として嫌われ、蔑まれ、不当にも人間扱いをされない遠因となった(大谷藤郎『らい予防法廃止の歴史』、草書房、199613頁)。さらに「ハンセン病は不治の病」という考えが広まっていたため、社会からのらい菌撲滅のために、らい菌をもつ患者を終生隔離することが広く行われてきた。現在では、らい菌は極めて感染力が弱いものだという認識が強まり、そして1941年にアメリカでハンセン病治療薬「プロミン」が開発され、ハンセン病は治る病気となり、ハンセン病患者の隔離は世界的に行われなくなった。しかし日本では、プロミン開発から7年後の1948年に「優生保護法」が、そして1953年に「らい予防法」が制定され、合法的に患者の断種や強制収容などが行なわれるようになった。

日本におけるハンセン病患者

 日本におけるハンセン病に関する一番最初の法律は、1907(明40)年に制定された「旧らい予防法」である。仏教上、忌み嫌われてきたハンセン病患者は、法律が定められる以前、世間の目をはばかり、家の奥深くで死ぬまで暮らしたり、あるいは浮浪者として寺などに集まって暮らすなどしていた。このようならい患者が増えることは、近代国家を目指す日本にとってある種の「国辱」であった。そのため、国辱であるのらい患者の一掃して欧米諸国の仲間入りをするために、「旧らい予防法」は制定された。このことは、らい菌よりもずっと感染力が強く、そして既に当時そのことが認識されていた結核についての予防法が大正時代に入ってから制定されていたことからも伺い知れるだろう。そしてさらにこの思想は、第二次世界大戦への突入に伴い、大東亜共栄圏内へも及び、当時、日本の植民地であった朝鮮にも「小鹿島更正園」がつくれ、そして日本国内でも「無らい県運動」が盛んに行われた。しかし、治療薬「プロミン」が開発されたこと、そして戦後、日本国憲法が制定されたことなどから、患者の人権意識も高まり、「旧らい予防法」改正を目指して運動が始まった。患者は、「強制収容反対」、「退園の認可」、「懲戒検束規定(園内の秩序維持や患者の脱走防止のため、所長に懲戒処分権を与える規定)の廃止」、「家族の生活保障」などを求めて改正運動を行った。しかし、「らい病予防のためには旧法をさらに強化する必要がある」という療養所園長の国会での証言の影響から、そのような患者の声は取り入れることなく「らい予防法」は制定された。しかも、旧法では規定されずに暗黙の了解のもと行われていた「強制収容」が明文化され、罰則規定もさらに強化された。また、これも同じく非合法的に行われていた「断種」についても「優生保護法」で規定され、合法的に認められることとなった。しかし、感染力が極めて弱く、しかも治療薬が開発され、完治する病気となったハンセン病に対し、このような隔離政策を行う正当な根拠はまったく見当たらない。実際、世界的にも、隔離政策に対し批判がなされている。1956年にローマで開かれた「国際らい学会議」では、ハンセン病に関するすべての差別待遇的な諸法律は撤廃されるべきであることや、できる限り自宅で治療が行われるべきことなどが決議された。また、58年に東京で開かれた同会議でも、「らいは隔離すべき病気である」という考えを非難し、特別な法律を定めたり、強制隔離を行っている国は、これを破棄すべきことを決議している。この考えを受けて、当時米軍政府の支配下にあった沖縄では、アメリカ軍指導の下、在宅外来療法を中心とする「ハンセン氏病予防法」(1961年)が制定され、患者発生を減少させている。そして、日本の植民地時代に療養所がつくられた韓国でも、60年代に患者の強制隔離政策が廃止された。現在では、各地に設置された「定着村」で、重い後遺症をもつ人などが家族と共に暮らしている。また、ハンセン病治療に積極的に取り組んでいるWHO(世界保健機関)は、1981年に、複数の治療薬を用いた「複合療法」を提唱し、ハンセン病は2年間の治療で根治することを明らかにした。そして88年に発表した「らい対策の方針」において、「隔離はもはや不必要となり、感染性の患者でも在宅のまま外来で治療可能である」と述べ、隔離ではなく早期発見、早期治療を行うことがハンセン病対策において重要であることを示した。しかし日本では、(1)強制隔離や消毒規定などを定める「らい予防法」が制定されたことにより、「らいは法律を定めるほど怖ろしい病気だ」という国民の恐怖や偏見が助長され、また、(2)療養所内の出来事は公になりづらく、そのため明らかに人権侵害である行為が行われたとしても、それが問題として社会に現れることが難しく、そして(3)「らい予防法」を支えていた「日本らい学会」の中枢メンバーは療養所関係者で占められており極めて閉鎖的な特質であったことなどが重なり、「らい予防法」は温存され、その結果ハンセン病患者を永きにわたって苦しめ続けた。
(次号に続く)

※病名は、すべて「ハンセン病」とすべきですが、文脈上、「らい病」や「らい」と記しています。ご了承下さい。
 



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